✔︎今日の本
津村記久子『この世にたやすい仕事はない』(日本経済新聞出版社,2015)

Photo: What’s up Man? / nickerwin

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最近は、焼きそばパンと目薬では目薬のほうが安いんだな、ということをよく考えるようになった。でも、この仕事を辞する時には、目薬の注しすぎでドライアイになっているかもしれず、そうなった際のコストも併せて考えると、長い目で見たら実は焼きそばパンのほうが安価である可能性がある。とはいえ、焼きそばパンの添加物が、私の体にドライアイ以上の深刻な影響を及ぼすことも否定できず、どちらが安いかの真相は藪の中である……。

 

仕事。家事労働も含めるなら、学校生活を終えた全ての人が生活の中心に据え、向き合わなければいけないもの。仕事観は、人生観と同じくらい幅があるだろうし、そこに楽しみを見出す人、苦しくて仕方がない人、ばかばかしいなと思いながら取り組む人、必死な人、一つの仕事をとってみても様々な向き合い方があるけれど、主人公は「とにかく単純な仕事を」と、職業案内をする正門さんに要望し、全部で5つの仕事を経験し、そのそれぞれにそれなりのやりがいを見出していく。(そして、それなりの挫折感を経験して転職していく。)

 

単純な仕事と言っても、まさに「この世にたやすい仕事はない」。上手くいっていても、職場の方から用済みになってしまったりもするし、予期せぬ人物に仕事を掻き混ぜられることもあるし、アレルギーが出てどうしたって続けられなくなったりする。単純な仕事とはいえ、それなりに成果を出すためにはコツをつかんでいく必要だってある。
この主人公は真面目すぎるくらいに真面目で勤勉だから、くだらなくなるくらいに真っ直ぐに悩んで、仕事と向き合って、それぞれの職場に居場所をつくりだしていく。それに、それぞれの職場の人たちは拍子抜けするくらいに温厚だ。人間関係の軋轢や性格や能力とのミスマッチがないから、それぞれの仕事のファンタジーみたいな世界観が活きてくる。本当にこういう仕事ってあるんじゃないか、と思う(きっととてもよく似た仕事は本当にあるんだろう、おかきの袋裏の文章を考える「だけ」の仕事はないかもしれないけど)。

袋の裏側を見てください、商品名が印刷されていないほう、と唐突に指示されたので、私は手元にあったBIG揚げいか&みりんの袋を裏返す。『ヴォイニッチ手稿』という、おかきの袋にはそぐわない文字の並びが飛び込んできて、私は刮目する。

 

他人の仕事、自分の仕事以外の仕事を少しだけ覗いてみたい欲求って、たぶん誰にでもあるんじゃないかと思う。それは、他人の人生を覗き見ることとほとんど同じ意味だから。だからテレビとかでも、よく頑張って働いている人のドキュメンタリーが一定の人気を博していたりする。そういう、覗き見の欲求を満たす連作小説でもあると思う。
一つ目の仕事、「みはりのしごと」で見張られていた小説家は書く。

『わたしは月に一度ほど、どうしても足の爪を噛みたい気分になる日があり、幽霊を怖がっている期間にその衝動が来たのだが、それをがまんした。幽霊だって見たくないだろうそんな所と思ったのだ。見張られるほうにもエチケットというものがある』

ここで、見張られる小説家/見張る主人公/その仕事ぶりを読んで見守る読者(私たち)という入れ子構造がさりげなく生まれている。主人公はその時思う。「私は山本山江のすべてなど知りたくないし知らないと思ってきたけれども、頭のどこかでは、相当知っているだろうと思い上がっていた。しかし、単なる外面的な癖でさえ知らないことがあった。」5つの仕事を見守って、主人公のことを「相当知っているだろう」と思っていたのに、最後まで読むと、何も知らなかった、と気づかされる瞬間がある。
それはこの5つの仕事のファンタジーの中で生きていた主人公が、自分の力で歩き始めようと決意する瞬間だし、遠回りでも、寄り道のように思えても、無駄な経験なんてひとつもないんだな、という知っているつもりでいたのに、知らなかったことに気付かされる瞬間でもある。

 

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